第1677回(R2.8.5) 通常例会
令和2年8月5日(水) 第1677回 通常例会
本日のプログラム : 新会員卓話
〇会長報告
先般の歴代会長懇談会について、過去のお話しをたくさん聞かせていただき大変勉強になりました。欠席された4名の会長経験者には別の機会を設け、歴代会長の話を参考に会を進めて行きます。また、ロータリーのロゴ入りマスクを会員の皆様に配布します。例会には是非装着してきて下さい。
本日のゲストを紹介します。
・米山奨学生 ダハール ディパンジャナ さん
〇委員会報告 親睦活動委員会 川﨑 貴憲 委員長
・8月26日(水)午後6時30分〜夜間例会をホテルエミシアにて行います。
〇新入会員卓話 加藤 裕美 会員
初めての卓話ということで、自己紹介のような話をさせていただきます。
私は1964年に札幌市西区八軒で長男として生まれました。父は旧国鉄の機関士であったことから当時機関区が置かれていた東区苗穂界隈の官舎住まいで、苗穂小学校、東栄中学校、開成高校を経て山形大学工学部に進学しました。1989年に同学電気工学科を卒業し北海道電力株式会社に入社しました。
志望動機は、元々は漠然と技術系の公務員を希望していましたが、一人っ子でしたので何れは北海道に戻る前提で考えた結果です。当時、電力会社に対する私自身の印象がお役所であったこともその一因でした。
配属については、私は人付き合いが正直苦手でしたので、近隣住民と接する機会が少ない奥地での生活であろうとの完全な誤解による期待から、水力発電所での勤務を希望しました。
結果として配属は配電と告げられました。恥ずかしながら当初はその仕事について多くをイメージすることは出来なかったというのが本音でしたが、程なく研修所に入所して3ヶ月間の研修を通じて、電気の供給に関して最もお客さまに近いところにあり、しかも多様であることがしっかり認識できました。
また、この研修は電柱の昇降柱、変圧器設置、電線架線などの外線工事の訓練項目が多くを占めており、今では有り得ないほど心身ともに堪えるものでしたが、今顧みますと学生から社会人としての意識と生活スタイルに変化させることに効果的でしたし、それまでのマイペースから時間厳守と連帯責任、勉強・研究から肉体労働と云う非日常的な生活環境に置かれたことで自身の内面を伺い知るところもあったと思います。
さて、最初の勤務地は旭川市。初めての転勤では浜頓別町へ、そして釧路市へと東に流れ、以降は本店と北見市、苫小牧市、函館市にある支店を行き来しておりました。
暑い寒いが好きなので旭川、北見の気候は性に合っていましたし、釧路は魚が上手いし、函館は残念ながらイカは不漁でしたが北海道とは少し異なる自然と文化に触れることができました。この会社に入り各地に転勤できたことは大変良い思い出になっています。
仕事については、会社勤めの約半分は本店におりまして長く計器関係を担当していました。計器は取引の根幹にあるアイテムで1にも2にも正確で、3は取引相手に誠実でなければなりません。この分野も法律による規制される部分が多く、分かり易い例としては計器には有効期間があることをご存知の方も多いと思いますが、これもそのひとつです。これに違反すると六月以下の懲役または五十万円以下の罰金が科されます。
北海道電力で所有する道内の取引用の計器は370万台余りで、5~10年の有効期間内に漏れなく更新するための管理は骨が折れます。やって当たり前の地味な仕事が多い一方で、主に高圧以下の設備を扱う配電の仕事の中で、唯一計量設備については特別高圧や超高圧を含め全ての電圧階級を扱うことができることは魅力でした。
前任地の函館支店では、渡島・桧山支庁管内の一般配電設備の電気主任技術者でしたので、配電設備をきちんと保守することでした。
今の仕事は要領を得ておりませんが、地域の皆さまからの情報やご協力の下で電気による快適な生活などを提案することです。
趣味といえる特段のものはなく、退職したら何をするのだろうと正直困っています。取り敢えず自転車のちょい乗りと家庭菜園をしていますが、最近腰痛で何れもままならない状況です。函館で勤務していた頃は、七重浜から大沼公園まで寄り道しながら海あり山あり湖ありの70kmのコースを1日かけて巡るのが気に入っておりました。
野菜づくりは四畳くらいの小さな家庭菜園です。今年は昨年植えたニンニクを収穫したのち、枝豆と大根を植えましたが豆は土に喰われて発芽せず、大根は順調であるものの目下のところカメムシに手を焼いています。あと、観賞用としてユリを植えているのですが、蟻とアブラムシの連合軍が我がもの顔で湧いてきますで、農薬素人ですがユリ根は食用にしないのでオルトランで根絶やしにします。作付け家庭菜園の定番のものが多いですが、小玉スイカは成長が目に見えることから収穫の喜びも大きいのでお気に入りの作物のひとつです。落花生も収穫時に実の付いた根ごと引き抜くときの感触と茹落花生の味は最高です。
以上、簡単ではありますが自己紹介でした。最後に私を本会の会員に推薦していただいた石﨑氏はかつて同じ職場の上司でありました。また、ロータリークラブの経験も豊富のようでしたが、後任の私は駆け出しのビギナーですので皆様のご指導ご鞭撻のほど宜しくお願いします。
〇新会員卓話 谷地中 勉 会員
この度は、新札幌ロータリークラブの入会を承認していただき、誠に感謝いたします。
6月5日に、株式会社日進通工の代表取締役社長に就任しましたが、前職は株式会社ミライトの執行役員として、KDDI事業本部の副本部長を務めていました。
ミライトへの入社(当時の大明電話工業株式会社)は、昭和54年(1979年)4月に通信線路部へ配属となり、電話設備工事会社の社員としてスタートを切りました。この時の同期入社の一人が、姫嶋祥次となります。
通信線路部での仕事は、簡単に申しますと電話線の接続が主な内容となります。この時代は、機械化が進んでおらず、1本1本の銅線を手ひねり接続していた時代です。一家庭に対して、2本の銅線を一対として接続するのですが、マンホール内での接続作業は、2400対のケーブルを二人で2日間以内に終わらせないと、一人前として認めてもらえない時代でした。接続工程だけで見ると、100対を30分ペースで進める必要があり、姫嶋も私も、それを目指して日々過ごしていた事が懐かしいです。
入社5年目の時に、ようやく慣れた通信線路部から、全く別な分野のソフト開発部へ異動する事となりました。会社としても、初めてのソフト開発であり、何を、どの様にするのか分からないため、12名の社員を技術者育成としてNEC様へ派遣することとなりました。
私が配属された部署は、通信開発をしているチームで、汎用機の通信OSを開発していました。この汎用機は、日本電信電話公社がリーダーとなり、NEC、日立、富士通と合同開発しているビッグプロジェクトでした。作業場所は、NEC社内でも実施していましたが、結合試験工程になると横須賀通信研究所へ泊まり込みで取り組んでいました。当時の汎用機は、非常に大きな筐体ではありますが、現在のパソコン以下の性能だったと思います。非常にメモリーが高価な時代でしたので、100MBのディスクパック(円柱型の直径40cm、高さ18cm程のLPレコードを重ねたメモリーディスク)が、数百万円と言っていたのを聞いた覚えがあります。現在は、20GB、30GBのSDメモリーが、スマホの中に入っています。容量的には、当時の200~300倍の容量ですが、親指ほどの大きさが数千円程で購入出来る時代になるとは思ってもみませんでした。
NEC様での仕事を、7~8年続けてきた時に、ソフト開発分野の拡大を図る目的で、NTTデータ様へ送り込まれることになりました。ここでは、通信OSの開発とは異なる内容で、インテリジェントビルシステムの開発に従事する事になりました。担当したビル名を挙げると「幕張テクノガーデン」、「横浜ランドマークタワー」、「クイーンズスクエア横浜」、「東京ファッションタウン」、「東京都庁ビル」などがありました。最初に開発した「幕張テクノガーデン」は、1990年(平成2年)4月10日に開業したビルで、民活法に基づくインテリジェントビル第1号に認定されました。
NTTデータ様での仕事を、約10年続けてきて、ようやく自社へ戻ることになりました。そして、次に待っていた業務は、マルチメディア事業本部という組織で、今で言うソリューションを主体とする部署でした。名前は、時代の最先端のようなイメージで作られていますが、実際の中身は泥沼状態でした。と言うのは、ミライトの最大顧客は、NTT東日本、NTT西日本を始めとするNTTグループ会社です。しかし、冒頭にお話しした電話設備工事は、電話の普及率が飽和状態になったことから業務量が減少すると言われ出しており、減少した分を民需事業で補う計画でしたが、簡単には事が運びませんでした。何故なら、民間企業を相手にした提案型営業を、真面に出来る営業マンが存在しなかったからです。NTTグループ会社への営業は、御用聞き営業をしていれば、何とか仕事を受注できる可能性はありました。それと同じ考えでは、民間企業は相手にしてくれません。お客様が、何に困って、何を求めているのか。それを、いつまでに、どの様に解決するのかを提案出来なければ、相手は話さえ聞いてくれません。その様な状況下で、当時の本部長が出した日銭稼ぎの策は、パソコンの訪問設定サポート業務です。もちろん、ミライト独自の発想ではなく、あるNTTグループ会社からのオファーがあり取り組む事にしました。時期としては、2002年10月頃です。この頃、世の中の動きとして、インターネットの接続サービスが普及し始めて、家庭にもパソコン1台の時代が訪れた時期です。当時は、プロバイダー接続の設定が複雑で、一般の方々は設定方法に苦慮していました。そこに目を付けたのですが、パソコン1台を設定する時間は、1時間~2時間程度必要でした。成功報酬型で、1台完了すると5000円の報酬をもらうことが出来ます。社員が、1日当たり5台を設定して25000円の報酬額ですが、移動時間や交通費を考えると赤字事業としか思えませんでした。しかも、一般家庭への訪問ですから、平日の夜を指定されることや、土日祝の休みで自宅にいる時を指定されることは多々ありました。トライアルで東京、神奈川、千葉、埼玉を実施したのですが、限られた社員数(6~7人)で実施するには限界がありました。この様な状態で、試行錯誤を繰り返していた時に、発注元から一般の方々(自営業、主婦等)を募集して、その方々にパソコン設定をお願いする方式を提案されました。これは、非常に嬉しい提案で、設定する人数が増えれば業務が回しやすくなります。しかし、別の問題が発生しました。一つは、報酬額を、いくらに設定するかです。私達がもらえる金額は、1訪問1台で5000円です。社員の労務費等を考えると、1台あたり3000円を超える金額は払えません。交通費込みで、3000円とした金額設定で、働いてくれる方が存在するかです。もう一つは、存在した場合に実績分の報酬額を、指定期日にきちんと支払えるかです。その他にも、様々な問題点はありましたが、何とかトライアルを成功させ、2003年4月には全国展開へと進むことが決定した時点の2003年1月頃から数ヶ月で、全国の自営業および主婦の方々をフィールドスタッフとして約1000名を登録することが出来ました。この全国展開の時期を、ミライトの社名で行うと同業他社から横槍が入る可能性があり、子会社を設立する事としました。その会社名は、株式会社IPテクノサービスとして、全国のパソコン訪問設定サポートを実施して、全盛期には1日当たり1000件弱を対応できる企業となり、年間売上高が14億円まで達成することが出来ました。現在この会社は、社名を変更して、株式会社ミライト・エックスとして新たな事業を営んでいます。
株式会社IPテクノサービスも様々な苦難はありましたが、何とか順調に進められている時(2010年1月)に、ミライトへ戻って来いと言われて、ソリューション事業本部の企画部を担当することになりました。ここでの大きな役割は、当時の大明株式会社と株式会社東電通の合併を、如何にスムーズに行うかがポイントでした。何とか2012年10月に、株式会社ミライトとして商号変更となりました。このタイミングで、企画部からエンジニアリング部へ異動となり、新たな社員と共にソリューション事業を行って来ました。
少し軌道に乗って来たと思っていると、「関西(大阪)のソリューション事業本部を立て直して来い。」と言われ、2014年7月に異動する事になりました。数値を見ると、大まかには2つの要因がありました。一点目は、仕事を受注するための営業経費が多過ぎることで、施工で確保した利益を全て食い潰していることが事業本部の収支を悪くしていたこと。二点目は、入札で大型案件を落札する方式に固執し過ぎていた事で、安定的な仕事の確保が出来ていなかったこと。先ずは、この2点に対して、改善策を行い、何とか軌道に乗って来たと思っていると、「東京に戻って、KDDI事業本部を立て直ししろ。」と言われ、2017年7月に異動する事になりました。
KDDI事業本部は、組織名称で分かる通りモバイル事業の組織となります。これで、入社から勤めてきたミライトの業務内容を、全て経験する事になりました。社内での業務内容表現で言いますと、①NTT事業、②Si事業、③ソリューション事業、④モバイル事業となります。そして、これらの経歴から、現在の株式会社日進通工の社長に抜擢されたということになります。
経歴については、この辺で終わりにして、趣味の話に移ります。先日(7月29日の夜間例会)、少しお話ししましたが、家庭菜園とオートバイの趣味を持っています。家庭菜園は、安藤会員には足元にも及ばないので、ここでの記載は割愛し、オートバイの趣味についてです。
自動二輪の免許を取得するための条件としては、16才以上となる訳ですが、取得する年に法改正が有り、3種類の小型(125cc未満)、中型(400cc未満)、大型(400cc以上)と別れたことで、私は中型の自動二輪までしか乗ることが出来ませんでした。そもそも、自動二輪免許取得の切っ掛けは、HondaドリームCB750Fourに憧れて乗ってみたいと思ったからです。残念ではありますが、願い叶わずで、一番初めに乗ったオートバイが、Honda CB350エクスポートでした。実家には、Honda ダックス50があり、通学にはダックスを利用していました。
高校を卒業し就職した際には、初の新車購入でHonda CBX400Fを選び乗っていた時期が懐かしいです。このオートバイは、「ホンダの技術が生み出した最強の中型バイク」と呼ばれていました。CBX400Fを、4~5年間乗っていた時に、オートバイ業界にある革命的な事が起こりました。それは、4ストロークエンジンから2ストロークエンジンへの領域変更が始まり、大好きだった4ストロークエンジンを止めてHonda NSR250RRに乗り換えることにしました。2ストのパワーは、4ストには無い瞬発力の素晴らしいところです。現在は、排ガス規制のため2ストエンジンの新車を見ることが出来なくなりました。
オートバイを楽しんできた時期に、仕事が徐々に忙しくなり、経歴で説明したNEC様からNTTデータ様へ移った頃でした。子供が、幼稚園から小学校に上がる時に、妻が一戸建てに住みたいということで、マンションを売り一戸建てに引っ越しする時に、妻の一言「オートバイを、あまり乗ってないから、この際に売っちゃいなよ。」で、趣味のオートバイから手を引くこととなりました。年齢30才頃でした。
そこから、十数年経った時でした。息子が、自動二輪(中型)免許を取得して、オートバイを購入するから、一緒にバイク屋さんに行こうよと言われ付いて行きました。初心者なので、慣れるまで中古で我慢するよう言って、Honda CB400Fを購入させました。そこで、息子に言われたのが、「お父さんは、昔オートバイに乗っていたでしょ。お父さんも買って、一緒にツーリング行こうよ。」の言葉で、オートバイの趣味が再開したのです。私も、中古のKAWASAKI ゼファー400を購入して、息子と二人ツーリングをするようになりました。
そこから、2~3年経過した時です。息子が、「お父さん、大型自動二輪の免許を取得したから、近いうちに大型のオートバイを買うよ。」と言われて、このままでは一緒のツーリングが走り難くなると思い、私も大型自動二輪の免許取得したのが44才だったと思います。
大型自動二輪の免許取得後は、FireBladeと呼ばれていたHonda CBR954RRを購入して、初の大型オートバイを楽しむことが出来ました。その後、買い替えを繰り返して、現在(以下)のオートバイに至っています。
・Honda CBR954RR(FireBlade)
・Honda CBR1000RR
・Honda VFR1200F DCT(Dual Cluch Transmission)
・Honda CBR250RR
この様に、一度だけKAWASAKIのオートバイに乗りましたが、HONDA車には安心感があり、現在でもHONDA派を続けている状況です。
また、安心感以外には、4輪レースであるF1も好きで、世界の自動車メーカーが脱帽状態だったアイトン・セナ時代の強さは、皆さんの記憶にもあると思いますが、日本人の誇りでもあったHONDAに魅了させられたことも要因の一つかもしれません。
この様に、オートバイの趣味を続けて行くために、妻にも自動二輪(中型)免許を取得させて、夫婦でツーリングにも出掛けています。妻が、免許取得時の年齢は、確か47才だったと思います。妻には、HONDA車を強制せずに、「これが、いい。」と言ったYAMAHA ドラッグスター250と、YAMAHA シグナス125のスクーターを2台購入して、ツーリング用とちょい乗り(買い物等)用で使い分けています。
さて、趣味の話の他に、縁があってこの北海道に来ましたので、楽しみにしていることを話します。観光と地域の文化(お祭り)を、少し堪能出来たらいいなぁと思っているところです。観光は、以下の場所に、是非行ってみたいと思っています。
【水辺編】
01 青い池(北海道上川郡美瑛町白金)
02 神の小池(北海道斜里郡清里町字清泉図)
03 オンネトー(北海道足寄郡足寄町茂足寄)
04 阿寒湖(北海道釧路市阿寒町阿寒湖温泉)
05 屈斜路湖(北海道川上郡弟子屈町屈斜路湖)
06 摩周湖(北海道川上郡弟子屈町屈斜路湖)
07 宮島沼(北海道美唄市西美唄町大曲3区)
08 支笏湖(北海道千歳市)
09 洞爺湖(北海道虻田郡洞爺湖町洞爺湖温泉)
10 知床五湖(北海道斜里郡斜里町遠音別村(知床国立公園内))
11 フレペの滝(北海道斜里郡斜里町字岩尾別(知床国立公園内))
12 オシンコシンの滝(北海道斜里郡斜里町ウトロ西)
13 カムイワッカ湯の滝(北海道斜里郡斜里町遠音別村岩尾別)
14 さくらの滝(北海道斜里郡清里町字清泉)
15 定山渓(北海道札幌市南区定山渓)
16 層雲峡(北海道上川郡上川町層雲峡)
17 神居古潭(カムイコタン)(北海道旭川市神居町神居古潭)
18 野付半島(北海道野付郡別海町野付)
19 宗谷岬(北海道稚内市宗谷岬)「2019/07/19完了」
20 神威岬(カムイミサキ)(北海道積丹郡積丹町大字神岬町)「2020/08/02完了」
21 地球岬(北海道室蘭市母恋南町4-77)
22 立待岬(北海道函館市住吉町16)
23 襟裳岬(北海道幌泉郡えりも町えりも岬)
24 納沙布岬(北海道根室市納沙布)
25 釧路湿原(北海道釧路市(釧路町、阿寒町、標茶町、鶴居村))
【道・展望編】
01 中山峠(北海道虻田郡喜茂別町川上345番地 望羊中山)「2020/08/02完了」
02 天に続く道(北海道斜里郡斜里町峰浜(国道334号・244号線/斜里国道))
03 知床峠(北海道斜里郡斜里町~目梨郡羅臼町(国道334号線))
04 三国峠(北海道河東郡上士幌町字三股(国道273号線))
05 ジェットコースターの路(北海道空知郡上富良野町(町道西11線))
06 幣舞橋(ぬさまいばし)(北海道釧路市北大通)
07 藻岩山(北海道札幌市中央区伏見5丁目3-7)「2020/07/18完了」
08 大倉山ジャンプ競技場(北海道札幌市中央区宮の森1274)
09 羊ヶ丘展望台(北海道札幌市豊平区羊ケ丘1番地)「2020/07/17完了」
10 T38(タワー・スリー・エイト)(北海道札幌市中央区北5条西2丁目5 JRタワーイースト)
11 さっぽろテレビ塔(北海道札幌市中央区大通西1丁目)「2020/07/17完了」
12 函館山(北海道函館市函館山)「小学校の修学旅行」
13 きじひき高原(北海道北斗市村山174)
14 有珠山(うすざん)・昭和新山(北海道有珠郡壮 6町字昭和新山184-5)「中学校の修学 旅行」
15 陽台(北海道標津郡中標津町字俣落2256番17)
16 天狗山(北海道小樽市最上2丁目16-15)
17 麗郷(れいきょう)展望台(北海道富良野市東麓郷の3) 麗郷(れいきょう)展望台(北海道富良野市東麓郷の3)
18「900(きゅうまるまる)草原」(北海道川上郡弟子屈町字鐺別(とうべつ))
19 タウシュベツ橋梁(北海道河東郡上士幌町字ぬかびら源泉郷)
お祭りは、ある意味地域の文化を象徴しているのではないかと感じており、その土地ならではのお祭りが日本には沢山あります。以下に、行ってみたいお祭りです。
【おすすめのお祭り】
01 よさこいソーラン祭り(札幌)
02 さっぽろ夏祭り(札幌)
03 札幌雪まつり(札幌)
04 金毘羅神社列大祭(根室)
05 函館港祭り(函館)
06 潮まつり(小樽)
07 勝毎花火大会(帯広)
08 層雲峡氷爆祭り(上川郡上川町)
09 江差の姥神大神宮渡御祭
【ご当地グルメを扱ったお祭り】
01 はぼろ甘エビまつり
02 尾岱沼えびまつり
03 根室さんま祭り
04 厚岸 牡蠣祭り
【ユニークなお祭り】
01 オロチョンの火祭り(網走市)
02 おっぱい祭り(知内町)
03 へそ祭り(富良野市)
04 しばれ祭り(陸別町)
05 函館五稜郭祭(函館市)
多種多様な楽しみが、北海道には沢山あります。しかし、新型コロナウィルスの関係で、どれだけ満喫できるか分かりませんが、仕事、遊び、そして、新札幌ロータリークラブでの皆様との交流を大切にして行きたいと思います。新参者ではありますが、是非仲良くして頂けますよう宜しくお願いします。
〇前役員バッジ贈呈式
・2019-2020年度 会長 大石 清司 会員
・2019-2020年度 幹事 川井 千香子 会員
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